このままでは日本の学校教育はダメになる(7)

ここまで学校の現状をお話しした上での話なのですが、それでも現在の学校で絶対に起こってってはいけないことが起こっています。このような背景の中で学校の中で絶対に許されてはならない闇が生まれました。その闇とは隠蔽体質といじめ教育です。いじめ教育と言うのも私の造語だと思います。いじめ教育の意味するところをお話ししたいと思います。

いじめ教育と言うのはいくつかの段階を私は想定しています。非常に難しいのは教室は密室であってその中で何が起こっているのかわからないと言うことや、担任に対して、担任でないものが担任の方針にとやかく言うことが学校ではタブー視されている面のあることです。それでも私は煙たがれながら戦ってきました。時々、他のクラスの生徒が私に助けを求めて相談にきました。私は放っておけなくて、担任に抗議したり、校長に抗議したり、生徒に指導したりしてきました。このような事は慎重にやらないと学校の秩序を乱すと言う事は私は重々承知しているつもりです。しかし、大切な生徒に比べたら学校の秩序なんか二の次です。何を言いたいかと言うと、教師が何らかの形でいじめに関与している場合、それを発見するのは非常に難しいと言うことです。そして、私の長い教師生活の中で教師がいじめに関与している例が少なくないと感じられること。そして、いじめ自殺の場合、何らかの形でほとんど教師の関与が疑われると言うことを言いたいのです。

まず教師によるいじめの見逃し。ある教師は、教室の中の良い意味か悪い意味か判断しかねますがガキ大将を容認する傾向があります。つまりガキ大将にある程度の権限を与えて、クラスの中に序列を作り、そのガキ大将を自分に服従させることでしっかりと統制のとれたクラスを作ると言うやり方です。これは私の教員生活の中で何回かこのようなやり方をしている教師を見たことがあります。問題はこのような教師はクラスの中で起こっているいじめをいじめと認定せず、子ども同士のじゃれ合い程度に考えていることです。私はこの状況は容認できません。

次に教師がいじめに積極的に関与する例もあります。クラスの中でターゲットとなる子どもがいて、教師も一緒になってその子供をおちょくることでクラスに一体感を出すと言うやり方です。これはもうもってのほかです。このような教師は教員免許を剥奪されるべきです。自分はやってない。ほんとにそう言い切れますか?私はあれ、今の発言はいじめなんじゃないかと思う教師の発言を聞いたことがあります。明らかに教師が生徒をいじめている現場を見たこともあります。そのような時は大概私はその教師に食ってかかって喧嘩になります。そのような事は決して決して許されてはならないのです。

さらにあるのが、教師は体罰が許されなくなりました。その代わりとして精神的な体罰を代わりに使う教師がたくさん生まれました。実際、問題行動を起こす生徒は、粘り強く何度注意しても同じような問題行動を起こします。これを理解するためには教師に心理学や発達障害に対する知識が求められます。そして、問題行動を起こす生徒は、粘り強く何度注意しても同じような問題行動を起こします。これを理解するためには教師に心理学や発達障害に対する知識が求められます。しかし現在教師はこのような知識を持ち合わせている人はほとんどいないのです。体罰と言う武器を失なった教師の一部は精神的な体罰と言う方法に行き着いたのです。

つまりは常日頃、問題行動を起こしがちな生徒に対して精神的な体罰を行い、自分に対する恐怖心を植え付け、問題行動を起こしたときに自分がする指導を何倍にも効果的にすると言う方法です。

極端な例が生徒が何もしていないに放課後生徒を呼び出し、してもいない事に対して1時間以上説教をするという物です。これはすごく極端な例ですが残念なことにこのような教師は存在しますし、これに近いことを行っている教師も存在します。

日本でたくさんのいじめ自殺が起こっています。私はいじめ自殺の背景には何らかのいじめ教育があると考えています。そして多くのいじめ自殺が心ない教育委員会によって隠蔽されています。このままでは日本の教育はダメになります。日本の社会は要領よく立場終わったもの、クレームを言ったもの、要求を突きつけた者が価値の全く道徳心とはかけ離れた社会になろうとしています。まずは人の基本を作る現場である教育現場から改革しなければ日本は良くならない。これから大人になる子供たちが夢や希望を持てる学校、社会にしたい。そのためには正義を教える場であるはずの学校でいじめがあってはいけないし、ましてや教師がいじめをすることなど決して許されないことなのです。

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