もう一度ゆとり教育やりませんか?

日本の教育に極端に欠如しているのがコミュニケーションスキル。

こういう事を言うと叩かれるのでしょうが、そして誰も味方がいなくなって孤立化していくのは分かっているのですが、もう一度ゆとり教育やりませんかと言いたい。

ゆとり教育をざっくりいうと、学習内容を3割削減(小中学校)、授業時数を削減。削減した分は全部高校で教えるという破綻が目に見えた物でした。これではダメです。

私は思うゆとり教育は学習内容を3割削減(小中学校)までは一緒ですが、ここで授業時数を削減しては意味がないでしょうという事です。

皆さん、思った事はありませんか?社会で必要な知識はほとんど小学校で学んだ知識で、連立方程式なんて全く使わない。実際アメリカの大学では、高3の数学の内容を大学で教えています。それでいいでしょう。つまり、小中高の学習内容を3割削減して大学教育にスライドさせるんです。

その前提は全ての教師がアクティブラーニングに精通する事。今、ぼんやりしていて範囲が広すぎるアクティブラーニングをもっと具体的に煮詰める事です。

初等教育で最も需要なのはその教科に興味を持つことや学び方を学ぶ事ではないでしょうか?子ども達がじっくり考える時間を保証するのです。

それと同時に従来型のまなぶはまねぶだという教育も否定してはなりません。漢字の書き取りなど、まねぶ教育には多くの利点があります。

また、総合的学習の時間も充実させる必要があります。コミュニケーションスキル、金もうけ、物作り。物作りを技術と差別化するのは発明的要素を入れる事だと思います。

学校教育が今のように5教科中心になったのはGHQの影響が大きいのです。職業に繋がりにくい5教科を中心に据えて頭でっかちの人間を作り、日本を弱体化させるのが目的です。

数年前から文科省もコミュニケーションスキルには力を入れています。例えばアサーショントレーニング。

AがBに何か嫌な事をする。BがAをいじめる。これが多くあるいじめ発生構図です。アサーショントレーニングを受けるとどうなるかというと、

AがBに何か嫌な事をする。BはAにそれはとても嫌だからやめてという。という風に変化するわけです。実際はそう簡単には行きませんが。

つまり、日本に必要なのはアクティブラーニングの完成。教師の徹底したトレーニング。ゆとり教育の復権、総合的学習(コミュニケーションスキル、金もうけ、物作り)の復権です。

すごく楽しい学校になると思いませんか?

最後に赤坂信ニ教授の実績をご紹介します。

見えない営み。

 午後は学部ゼミ。

 学部ゼミは全体ゼミよりも一足先に新体制がスタート。とてもスムーズに新体制に移行しました。ただ4年生はここに来るまで何度も何度もミーティングを繰り返してきました。私も知らないところで随分思いのすりあわせをしてきました。話し合いの場面で,「いいね,いいね」じゃダメだよね,と肯定を前提とした交流のルールの違和感を唱える人がいます。それはわかります。何かを積み上げたり,練り上げたりするときに「いいね,いいね」だけではダメなことが多いです。しかし,「いいね,いいね」の段階をクリアしないと,「でもさ,だったらさ」には進めないのです。それがわからないで,いきなり,「でもさ,だったらさ」をするから無用な対立を生み出し,話し合いにネガティブなイメージを持つのです。私から見れば,それは,シートベルトやヘルメットをしないで猛スピードで車やバイクを運転しているようなものです。まずは,安全速度で車線を守って走る期間が必要です。4年生は,「いいね,いいね」の時間を経て,「でもさ,だったらさ」が普通に言い合えるチームになりました。それは他のモノには見えない時間です。G3とG2には,「見えない営みが見える」人たちになってね,と言いました。

 高まり,深まりという言葉に踊らされていきなりメンバーをパニックゾーンに連れて行ってしまうような指導があるようです。否定や批判をするには資格が伴います。それは,信頼という資格です。

 次の卒論に向かって歩み出しました。

(引用ここまで)

例えば中学校前半で「いいね,いいね」ディスカッションを徹底する。共感こそがディスカッションの根底で共感のない話しあいにはなんの意味もありません。

中学校後半で「でもさ,だったらさ」ディスカションをする。まず、最初に賛成出来るポイントをあげ、次に相手の気持ちに配慮しながら反論を述べる。ここでもアサーショントレーニングが重要になってきます。

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