不登校の児童に卒業式練習に加わるよう説得する教師の手紙について(2)

ついでなので重要な事に触れておきます。僕が子供の頃は家の周りに野原や竹やぶがいっぱいありました。そこで流行った遊びは基地作りです。手に入る様々なので素材(ほとんどはゴミ)を使って快適な基地を作るのです。忘れられない思い出は、近所に風呂焚き用にゴミを山ほどため込んでいるおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんのゴミを基地作りのために無断で失敬した事がありました。おばあちゃんに見つかり、仲間は散開して逃亡したのですが、一番足の遅い私はおばあちゃんに追いかけられました。あの時の恐怖は今でも忘れられません。昔話に出てくる山姥とはこういうものかと思いました。(おばあちゃんごめんなさい。)結局捕まって、目から火花が出るほど怒られました。それ以来、人様の物を黙って失敬する事はなかったと思います。

私は今の子供たちを不憫に思います。子供達は遊びの天才で、その創造性を遺憾なく発揮する環境を必要としています。ところが現代社会はその環境を与えてくれません。街はアスファルトで埋め尽くされ、野原も竹やぶも自由に使える空き地もありません。公園は特定の用途での使用に限定されていて、穴を掘る事も基地を作る事も許されません。

自然護岸と言うものがあります。私が子供の頃は、川の護岸といえば、コンクリートが相場でしたが、最近、自然護岸がかなり普及してきました。川の氾濫を押さえ込み、かつ、自然も残すと言う工法です。これからどうせ人口減少社会になるのですから、大都会はともかくとして、地方は自然護岸ならぬ、自然道路を作れないでしょうか?あと、もう都市への一極集中やめませんか?都会が大好きな人を止める権利は私にはありませんが、少なくとも子供達には山や川が必要だと思います。

ずいぶん脇道にそれてしまいましたが、本論に戻ります。何を言いたいかと言えば、子供の頃の時間は長く、子供の頃にはその時期にしかできない体験があり、小学校の卒業式と言うのは、そのかけがえのない思い出と仲間たちとの絆との締めくくりだということです。12歳のまだまだ若く未熟な魂であっても、おそらく教師以上に、児童はそのことを理解しています。

その特別なイベントを前にして、卒業式に出られないと言うリスクを犯して学校を休むと言うのは生半可な理由ではないと僕は考えてしまいます。よほど辛いことがあったのでしょう。私なら、1本電話を入れた後、家を訪問して、玄関先でその児童と話をしたと思います。実際に、今までそうしてきた事は数えられないほどです。生徒がどんな言い訳をするにしても、どんな身勝手なことを言うにしろ、私はまず聞くことが大事だと思っています。私の教員生活では、それがほとんどの場合解決に結びつきました。

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