不登校の児童に卒業式練習に加わるよう説得する教師の手紙について(3)

私はそれを「生徒とのデート」と呼んでいます。宗教的な話をする事は日本の教育の場では嫌われますし、私もなるべく宗教的な話題には触れないようにしているのですが、この「生徒とのデート」のルーツをお話しするために、多少宗教的な話に触れなければなりません。

私は23歳から25歳の間、ボランティアの専任宣教師として北海道で従事させていただきました。それが私の人生を決定づける最大の出来事になりました。私はキリスト教的な価値観、欧米的な価値観を学び、普通の日本人とは全く違う価値観を身につけました。それが教員になってから、死ぬほど苦労した最大の原因だと分析しています。長い間、キリスト教的な理想的な価値観は現実社会では通用しないのだと思い知らされました。世の中は性善説では通用しないこと。人を痛めつけたくてうずうずしている人がそこら辺にごろごろしていることを悲しい経験から学びました。しかしながら、最近になって、やはり、私が学んだキリスト教的価値観の中には、一般社会でも通用する立派な価値観が含まれていると確信するようになりました。というのは私の教員生活の中で、いくつも奇跡のようなことが起こったからです。

それについては会を改めることにして、今は「生徒とのデート」について書いていきます。宣教師の主な目的は

①キリストの教えを述べ伝えること

②人々に愛を示すこと

③人々に奉仕すること

だと私は思っていました。でも、伝道の最後の日に私はそれが間違いであることに気づきました。正確に言えば間違いと言うわけではなく、それよりも大事なことがあるということです。聖書によれば伝道活動は2人組で行うことになっています。私が気づかなかった1番大事なことと言うのは、同僚を愛することでした。私はそれを知らず、当然、実行も出来ませんでした。

私は改宗者です。20歳の時に浄土真宗からキリスト教に改宗しました。多くの宣教師はアメリカからやってきており、7代も続くキリスト教の家柄から来ています。彼らとは根本からして違うわけですが、私の同僚たちは何も知らない私に、何度も何度も気づかなくても愛を示し続けました。

ある時、伝道部でも特別優秀な宣教師の同僚になりました。その同僚は宣教師のルールを守ることに熱心で1ミリもルールを揺るがさずに守ることで有名でした。彼に対して劣等感を感じ、明らかにモチベーションを失っていた私に、彼はある夜いいました。今日は伝道をしないでデートしよう。私達が1ヶ月に自由に使えるお金は27,000円でした。もちろんその中に食費が含まれます。彼は缶ジュースを2本買ってくれて、私たちは公園のベンチに座りました。その時に私の人生を決定的に方向付ける出来事が起こりました。

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